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技術コラム Column

シミュレータで使用されるモデル:Sパラメータモデル

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はじめに

Sパラメータ(Scattering parameters)とは、伝送路や部品の特性を表すために使用される回路網パラメータのひとつで、散乱パラメータとも呼ばれています。デジタル回路設計者が利用するシミュレータといえば、SPICE系のモデルを使用するのが一般的かと思いますが、近年のデジタル回路の高速化に伴って、高速デジタル回路の分野においても、これまでマイクロ波・ミリ波の解析で利用されてきたSパラメータモデルが使用されるようになりました。回路網の特性を測定するには、一般的には電圧や電流を用いますが、高周波においてはそれが難しく、基準インピーダンスの平方根で規格化した入射波や反射波という電力波を測定して回路の特性を表します。

Sパラメータは、簡単に言うと、回路網の任意ポートからの入射波に対する、他ポートへの透過波や自ポートへの反射波との比を表したものです。回路網の応答は、Sパラメータを1つにまとめたS行列(散乱行列) ※1によって表すことができます。S行列を使用することで、各ポートに入ってくる波の大きさや位相がわかれば、各ポートから出て行くそれも求めることが出来るようになります。(Sパラメータは複素数であり、振幅に加えて位相に関する情報も含まれています) シミュレータで使用されるSパラメータモデルには、DC~高周波帯域まで細かなステップでのS行列の集合が含まれており、一般的にタッチストーン(Touchstone)形式と呼ばれるファイル形式で提供されています。 

今回のコラムではSパラメータやS行列に関して少し触れた後、タッチストーン形式の中身について解説し、コンデンサやプリント基板がSパラメータモデルでどのように表現されているかを見て行きたいと思います。

※1 「Sパラメータ」と「S行列」を同義として扱われているケースもありますが、本コラムでは「Sパラメータ」を「S行列」の要素として分けて扱っています。

Sパラメータ

図1と図2は回路網にポートが4つある場合のSパラメータの概念図です。図中の4つのポートをそれぞれP1~P4と名付けておきます。図1は、P1から入射波を入れた時、図2はP4から入射波を入れた時の様子を表しています。

図1で、P1からの入射波の内、回路網で反射してP1に戻ってくるものを反射波、その他のP2~P4へ通過するものを透過波と呼んでいます。同様に図2では、P4からの入射波の内、回路網で反射してP4に戻ってくるものが反射波であり、その他のP1~P3へ通過するものが透過波となります。図中で水色のボックスで表されているm nの、mnはポート番号を表しており、図3のように、後ろのnの部分は入射波が入ってくるポート番号、前のmの部分は反射波または透過波が出て行くポート番号として表され、m nは、ポートnから入ってくる入射波に対する、ポートmから出て行く透過波(または反射波)の比を表し、これがSパラメータと呼ばれるものです。mnのイメージが逆のように感じる方(私もそうでした)もいるかと思いますが、これについては後述します。この内、“mn”である時、このSパラメータは反射特性を表し、同様に、”mn”の時、透過特性を表します。

図1: P1からの入射波
図2: P4からの入射波
図3: Sパラメータの表し方

S行列

ここまで、1つのポートから入ってくる入射波に対して各ポートから出て行く反射波や透過波について説明してきました。しかし実際には、図4のように1つのポートから出て行く波(この例では)は、1つのポートから入射した透過波や反射波だけではなく、全てのポートから入ってきた波(この例では)が透過または反射をし、これらが合成された波(この例では)として1つのポートから出て行くことになります。まず、P1から入ってきた波(この例では)は、11の比で反射してP1から出て行きます。また、P2から入ってきた波(この例では2)は、12の比で透過してP1から出て行き、同様にP3やP4から入ってきた波(この例では3,4)も1314の比で透過してP1から出て行きます。波の独立性と重ね合わせの原理から、これら全て合成(加算)された波(この例では)がP1から出て行くことになります。 

図4: P1から出て行く波

ここで、ポートmから入ってくる波を、ポートnから出て行く波をとし、これを式で表すと、図5のようになります。また、これらを行列式で図6のように表すことで、全ポートから入ってくる波に対して行列演算で全ポートから出て行く波が算出出来るようになります。(一般的に行列aのm行n列の要素は、amnと表します。従って先程、「m nは、ボートnとポートmが感覚的に逆に定義されている理由は、行列生成時に、行列成分の表し方のルールに沿った形でSパラメータを並べると行列演算が出来る並びになるためかと思われます) この例では、入射波が入ってくるポートは4箇所あり、それぞれに対して出て行くポートも4箇所となるため、Sパラメータは4×4=16個となり、これを図6のように行列で表したものをS行列と言います。 

図5: 出て行く波を求めるための式
図6: S行列演算による表現

一般的に、S行列の要素数は図7で示す通り、ポート数の2乗個となります。 

図7: S行列の要素数

S行列利用時の注意事項

このようにS行列を使用して、入ってくる波から出て行く波を求めることが出来るのは、『回路網が線形である』ことが条件です。逆に言うと回路網が線形で無い場合は、Sパラメータを作成・使用する際に、線形部分だけを利用するような配慮が必要になります。もう一つSパラメータを使用する上で重要なこととして、『基準となるインピーダンスが定まっている必要がある』ということです。Sパラメータを作成した際の基準インピーダンスをいくらにしたかということを明確にしておく必要があります。Sパラメータを論じる時に、このことは明確にされていない場合も多いのですが、これは、基準インピーダンスは特に明示しない限り50Ωとして扱われているという慣例があるからだと思います。Sパラメータがよく利用されるケースとしてはL/C/Rだけで表すことの出来る部品、伝送路、ケーブル、プリント基板の配線などです。

タッチストーン(Touchstone)ファイル

Sパラメータモデルのファイル形式としては、一般的にタッチストーン(Touchstone)形式というものがよく使われます。タッチストーンファイルの拡張子は「.sp」となっておりの部分はポート数を表す数字となります。例えば2ポートのSパラメータの場合、 「.sp」、16ポートの場合「.s16p」となります。ファイルはテキスト形式なので、メモ帳やテキストエディタなどで簡単に中身を確認することが出来ます。

図8は村田製作所株式会社様のホームペーシからダウンロードすることの出来るセラミックコンデンサ「GRM188R72A104KA35」のタッチストーンファイルの中身です。(データは見やすいように小数点5桁に統一しています) “!”の文字で始まる行(緑色で表されている行)は全てコメント行のため、シミュレータでは読み込まれませんが、どういった条件で作成されているかなど、メーカが利用者に伝えたい情報が記載されていることがあるので、一読しておくことをお勧めします。“#”の文字で始まる行(青色)はオプション行と呼ばれ、データのフォーマットについて記されています。“Hz“は周波数の単位で、他に”kHz”、”MHz”、“GHz”があります。“S“はSパラメータであることを表し、他に“Y”(Yパラメータ)や“Z“(Zパラメータ)などがあります。“RI”はデータが実部と虚部で表されいることを示します。他に“MA”(振幅と位相)、“DB”(振幅(dB表記)と位相)があります。最後の“R 50”は基準抵抗を正の実数値で表します。この例では50Ωです。残りの黄色で表されている行が周波数ごとのS行列です。データとして入れておかなければならない周波数の範囲やStep数は特に規定されておらず、モデルの製作者に委ねられています。Sパラメータモデルは離散モデルであるため、シミュレータで必要となる周波数のS行列は補間されることになるため、入手したモデルが解析に必要な周波数をカバー出来ているか、分解能は十分か、事前に確認しておく必要があります。この例では100Hz~6GHzまでLogスケールで401StepのS行列が入っていました。

図8: タッチストーンファイルの例 (村田製作所株式会社様 セラミックコンデンサ GRM188R72A104KA35 の例)

コンデンサのSパラメータ例

こごては、先程タッチストーンファイルの例で紹介した村田製作所株式会社様製のセラミックコンデンサ「GRM188R72A104KA35」のSパラメータモデルを例に、コンデンサの特性がSパラメータモデルではどのように表現されるかを確認してみようと思います。 図9と図10がこのコンデンサのSパラメータモデルのグラフで、こちらも村田製作所株式会社様のホームページから得ることが出来ます。図9、図10は、それぞれ、S11(反射特性)、S21(透過特性)のグラフとなっています。入射波が低周波(ここでは100Hz)の場合、S11(反射特性)はほぼ0dBですので、入射波と反射波の比はほぼ1倍、S21(透過特性)は-44dBですので、約0.00004倍となり、入射波のほとんどが反射波として戻ってくることがわかります。これに対し、入射波が高周波(ここでは10MHz)の場合、S11(反射特性)は-57dBですので、入射波と反射波の比は約0.000002倍、S21(透過特性)はほぼ0dBですので、1倍となり、入射波のほとんどは透過して対抗のポートへ出て行くことになります。

図9: S11(反射特性)
図10: S21(透過特性)

この様子を図にしたものが図11です。DC(に近い周波数)は通さないが、周波数が高くなるとそのまま通すというコンデンサの特性がSパラメータにも表れているのがわかります。

図11: 低周波・高周波での反射・透過の様子

プリント基板のSパラメータ例

今度は、プリント基板上の伝送路がSパラメータモデルではどのように現れるかを解析してみようと思います。図12は解析を行ったプリント基板の伝送路で、図13が解析結果となります。(Sパラメータは基準インピーダンス50Ωにて解析しています) プリント基板は4層構成で、1層目に信号配線、2層目にベタGNDが設けられています。

図13のS11(反射特性)を見ると、高い帯域まで約-25dB以下となっており反射が低く抑えられています。ここでは、Sパラメータの基準インピーダンスを50Ωとして解析しているので、伝送路の特性インピーダンスが50Ωに近ければ反射が抑えられS11が小さく、50Ωから離れていれば反射が大きくなりS11が大きくなります。一方、S21(透過特性)は、高い帯域まで0dBに近い値となっており、殆どの信号は透過します。右肩下がりの減衰を伴うグラフになっているのは、基材であるFR4の比誘電率や誘電正接による損失が高周波になるほど大きくなるためです。立上りエッジの速い高速デジタル回路において、高周波帯域での減衰が大きくなると、立上りエッジがなまり、EYEの開口が閉じてきます。このため、パナソニックインダストリー株式会社様製のMEGTRONシリーズのような高周波帯での周波数特性に優れた低損失の基材が使用されることがあります。例えば、MEGTRON6では、比誘電率がFR4で4.5程度であるのに対して3.5程度、誘電正接はFR4に比べて1桁小さくなっています。図14にFR4とMEGTRON6とでS21を比較したグラフを示します。S21は、伝送路にスタブが存在すると、1/4波長共振により図15のような比較的幅の広い(Qの低い)ディップが現れます。

図12: プリント基板上の伝送路の例
図13: 伝送路のS11、S21 (FR4)
図14: 伝送路のS21 (FR4vsMegtron6)
図15: 伝送路のS21 (FR4、スタブによる共振)

電磁界シミュレータ

Sパラメータを作成するためには、ベクトルネットワークアナライザを使って実測する方法、電磁界シミュレータを使用して解析する方法があります。電磁界シミュレータは、高周波回路の設計・解析や高速デジタル回路の解析、EMC解析など幅広く利用されており、Advanced Design System(Keysight社)、HFSS(Ansys社)、CST Studio Suite(DassaultSystemes)など、多くの商用ソフトウェアが存在します。プリント基板を理想的な伝送路としてしか扱えなかったこれまでのSPICE系シミュレータと異なり、これらの先進的なシミュレーションツールでは、プリント基板設計ツールが吐き出したデータをインポートし、電磁界解析によりプリント基板のSパラメータモデルを作成し、回路シミュレーションの部品とすることで、従来出来なかったプリント基板の特性を含めた回路シミュレーションが可能になりました。

高周波アナログ回路分野だけではなく、デジタル回路の分野においても、高速化が加速している現在においては、プリント基板の特性や部品の寄生成分が無視出来なくなっているため、このようなシミュレーションツールを利用する機会は、今後ますます増えてくると思われます。

御参考URL

村田製作所株式会社 設計支援ソフトウェア SimSurfing

https://www.murata.com/ja-jp/tool/simsurfing

パナソニックインダストリー株式会社 多層基板材料「MEGTRON」シリーズ

https://industrial.panasonic.com/jp/products/pt/megtron

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